つぎはぎ/偶像/天使たち

脳内、日記、自分か好きな人の精神分析、てきとー独自哲学などなど

2/2 昼頃に書いて疲れて書くのを辞めたメモ

右目から流れる涙は左脳で思考した論理による涙らしい。

私は夜に何かを考えている時など、よく右目からだけ涙が出る。私は理屈屋だと思う。あらゆる感情に説明を求める。そしてそのための言葉を探す。感覚的な事象に理屈を求める。だから何か「感覚的に悲しいこと」があってもそれらは「どのようにその物事を感じてそれはこのようなメカニズムで心に働きかけられた悲しいことである」として、論理的に悲しいことと変化する。だから流れる涙は右目ばかりだ。

私はこうやって文章を書いているが、実のところ文章を書くのは好きではない。考え事でいつも脳はせわしないが、考え事は嫌いである。哲学は面倒で、疲れるばかりだ。だけど常にそれらをする。私は嫌いなことが好きだ。

私が文章をよく書くのはそれが自然と行われることだからだ。といっても恐らく本来は向いてないのだろう。だから疲れる。国語だけは点数がよかったが、それは私が日本人で、日本語を扱うことができ、本を読んでいたから同じように文章を組み立てたからできただけで、勉強ができた訳ではない。勉強となった時に一番できないのは国語だった。まず漢字が書けない。記述問題で正解のものが漢字が間違っていたために減点されることなど日常茶飯事で、80点を取っていた場合、その落とした点のうち15点程は漢字で、残りの5点は漢字の間違えによる減点というようなパターンがほとんどだった。私の国語の成績が5だったことはなく、現代文は学年2位を取っても古文漢文が下から3位だったから、成績表は4か3だった。文法を憶えることが何よりも苦手である。だから英語ができない。常に扱う言語ではなく、文法を憶える必要があるから苦手だ。実際の解き方としては、英文を勘で日本語に直して、その日本語の場合ここがこれを指すだろうという勘で全て解いている。英語は30点が取れれば御の字だった。勉強をしないから現代文以外はどれも点が悪く、高校はそうする他なくて文系に進んだが、実際に好きなのは理系科目だった。