今日観てきました。母親が観たがってたうえにとつかさんが素直な言葉(かわいい)で絶賛していたのでかなり観たかったし期待値がすごく高かったのですが、普通そういう時は期待値を下回ってしまうものの、これはちゃんと期待値を越えてくれました。ちゃんとした感想を書くには後3回程観たいところですが日数と予定的に厳しそうなので、印象に残った台詞、シーンの取り急ぎメモになります。単純に自分の文やとつかさんの文に似ているなと思ったのと、自分の文の場合小っ恥ずかしいものになってしまうところが恥ずかしくない出来でとても良かったです。言語化がかなり難しい映画でしたね。以下、そのメモになります。ネタバレになりますね。
冒頭、映画館の中にいる夢のシーン。「オレらが見てる今がさ、誰かのファンタジーやったらどないする?」
もうここで自分の感性に合ってる作品だと驚いた。私はしばしば自分の生きる現実を「ファンタジー」と表現する。それはかなり無意識の中にある語彙で、ラリった時なんかは「現実から現実味がなくなった」という意味の言葉として「ファンタジーのフィルターが剥がれた」と、口癖のように言う。本当によく言うので、ラリって警察のお世話になり親が迎えに来た時に親が撮った動画でも私はその言葉を言っていた。「フィルター」というのが現実を現実たらしめるものの事で、それが剥がれると現実は「ホリゾント/書き割り」になり、現実味がなくなる、ということである。軽度の離人を指している。本当に口癖だ。それが冒頭から出てきて驚いた。
「何聞いてるんや(ニュアンス)」「炸裂音」
私の中でそれにあたるのはRCサクセションの「ノイローゼ・ダンシング(CHABOは不眠症)」の間奏の窓ガラスが割れるような音。表現する時は「脳がぎゃりぎゃり言う音」などと言う事が多い。パンフレットを流し読みしたところ「炸裂」は結構キーワードのようだ。
(撮影)(記録)(観測) ビデオカメラで日常を記録している描写。私は「観測」の話をよくしている。過去のブログにも書いている。
シガーキスを何回かした後にひたすらキスをする。「寝起きにキスできたら愛だよ」
夢で好きな人とよくする事兼起きた時にえへへ、嬉しいなーとなるのはプラトニックなことに単純にキス。なのでちょっと普通にきゅんきゅんした。
「海がホン書いてるんや 海が全部知ってるんや そんで、最後にラストワルツ踊るんや」ここはとても印象に残ったのに、風と海をイコールにする台詞が多かったため、もしかしたらこの台詞の海の部分は風だったかもしれない。記憶力との勝負だった。聞こえた台詞が合ってるかは初見だと微妙なものの、「ホン」と聞こえた。脚本の意味である「ホン」かな、として聞いた。私は人は海(原始海洋/羊水)から来て初めはその一部(スープの具材、と私は表現しがちである)で最後還る場所も海であるという考えがかなりベースにあるので、もうここのあたりでこの映画は好きだぞと確信。
「会いたい人に会いたい」
あい。パンフで「あい」に「相、逢、愛、哀、会……」と沢山の意味をかけていた。そして当然「自己」を意味する「i」もあるだろうと思っている。この台詞自体、とつかさんが以前ブログに書いていたので、記憶に強めに残った。
「色の無い世界 生活を人質に取られ 一人称を落としたことにも(気づけず?)」
主人公の過去のシーン。モノクロの中一部分にだけ色が付いている。画として綺麗だと思ったのと、「一人称を落とす」という語彙がとても気に入った。「自分を見失う」のような意味かと。マーシーの「さよならビリー・ザ・キッド」の「ワナにはめられたみたいだ 生活にクビをしめられ やり場所のないいらだちが 毎晩オレを責めたてる」を連想。
「お前はエンドロールの先も見てけよ」
「コミュニケーション、コミュニケーション取ろうやぁ……」頭がおかしいと思われ無視されたシーンでの台詞。人と関わりたいというのは私の中ではかなり切実な思いに分類される。
洗濯物だらけの道。赤と青。暗喩のシーン。 これも単純に画として好き。
「地球ではそれを恋って言うんや」
回想シーン。持ち物を海に捨てていった後の台詞だったかな?告白のようなもん。得るために失うという行為に、KinKi Kidsの「全部だきしめて」の「なにかをひとつ 失くした時に 人は知らずになにかを手にする」を思い出した。
「盗んだオーラくれや」キスをする(オーラを吸い上げる)。なんか、良い。その後に「真っ直ぐいきますよ」だったかな?「行きます」か「生きます」かよくわからなかった。かけてるのかな。
森山未來演じるヒー兄の自殺のシーン。その前に飼い犬を自由にしようと首輪を外して野に放つ。その後犬の死骸が見つかる。ヒー兄はその首輪をつけて、それで首を吊って死んでいる。その前に彼は警察に捕まり、留置所にいたが、それは現実逃避のためわざとだったとパンフにある。犬を「自由にさせるため」に「首輪を外し」、自分が現実から逃れ「自由になるため」に「首輪をつける」。束縛と解放は背中合わせだと感じることがよくあるが、それを表現したシーンだろう。画としてもとても良いシーンだった。
「ドラマは12回で説明してくれるけど現実はオチがつかないこともある(ニュアンス)」メタ視点もこの作品内だけで数種類あるようだ。
火葬の煙。重力ピエロのラストを思い出した。物質としてそこにあるものを見ることしかできないからそれをやる。
「幸せって(略)覚悟とワンセットなのよ それ以外は暴力よ」
私が中途半端な好意は加害だと感じているのに近い。
「死にてぇー」「生きたいって聞こえるけど(ニュアンス)」これはとつかさんのブログへの返信に同じことを書いた。
「生と死が抱き合って」
一見全然関係ないが、フォーリーブスの「少年たち〜小さな抵抗〜」のB面「生と死のあいま」の「ぼくと ぼくの死は 抱きあって ぼくの死はぼくになる ぼくは ぼくの死になる」を連想。
「俺の復讐。光。普通」
解釈し切れてない。単純すぎる読み解き方をすると「普通」の「光」ある生活をあえてそのままにしておく=何もしないのが復讐?これじゃ捻りがなさすぎる。何回も観たい理由の大部分でもある。
「風と振動数を合わせて」
良いフレーズ。
独白の長台詞。メタ的なものなので下手に演ってしまうとめちゃくちゃ恥ずかしくなるやつを、恥ずかしくなくやり遂げてくれました。素晴らしいです。怒涛。畳み掛けるようだった。「言葉になんてできないけど言葉にするしかないんだよ」とても長いのでその中で気に入ったフレーズを。「全身全霊でハッピーエンドを汚す」先の挿入歌でハッピーエンドと歌詞にあるものが歌われていたりした後での思いっきりのハッピーエンドの否定。汚す、というのが気に入った。
取り急ぎメモとしてはこんな感じかな。また観たい。今すぐにでもまた観たい。