つぎはぎ/偶像/天使たち

脳内、日記、自分か好きな人の精神分析、てきとー独自哲学などなど

来てくれた方へ。自己紹介など。(24/08/21)

どうもみなさん、来てくれてありがとうございます。

主に好きな人(A.B.C-Zの戸塚祥太さん)のこと、映画/演劇の感想、音楽のはなし、好きな人を通しての簡易的な自己分析、日記、独自哲学などを気の向くままにつらつらと綴っています。面白味がなかったとしても読んでくださったらやっぱり嬉しいものなので、よかったらよんでくださいね。ここに書いてあることの大体はプロフカードにも書いています。

https://profcard.info/u/hHZPG6mc9jXckFK6KUHqaNkF4vb2

 

私はHNをりるか/飴屋瑠架と名乗っている03年産まれの特徴としては不眠症の女です。HNは筋肉少女帯の「リルカの葬列」から。油画科の美大生です。好きな先生がいて学内ストーカーをしています。

考え事も文章も多分本当は苦手ですが苦しんでこその人生なのでなんか色々と書いてます。

他人の考え事を読むのは大好きです。

演劇が大好きで、詩も大好きで、寺山修司が人生のルーツです。歌詞も小説も映像作品も基本的に寺山修司です。

橋本良亮くんの舞台演技が大好きなので彼の舞台は全て行きます。

寺山修司以外の特に好きな文学は

村上龍、中島らも、澁澤龍彦、石丸元章、筒井康隆、石田衣良、伊坂幸太郎、大槻ケンヂ、ウィリアム・S・バロウズ、他ビートニク文学、銀背SFあたり。漫画は吾妻ひでお、石川賢、永井豪、塩崎雄二、道満晴明がメインでバイブルはあしたのジョーです。

 

A.B.C-Zのメンバーの戸塚祥太さんが大好きです。泣く泣くりあこをしています。彼のことを考えすぎるとおかしいテンションになってくるので用法用量を守って摂取しようと思います。

 

タキツバが好きでゆるい後追い翼担でもあります。7MEN侍もゆるく推していて、基本箱推しの矢花担です。矢花名義は体感当たりづらいのでFCは今野名義。他には岩橋玄樹、平野紫耀、佐藤新のFCに加入しています。

 

ジャニーの演出、脚本、詩がとても好きなジャニオタ(ジャニーオタク)もしてます。戸塚さんとジャニーの文体・語彙考察を頻繁にしていて、かなりかなり楽しい趣味です。

性加害は肯定してませんが、過剰な擁護は大嫌いです。(政治の話、知識・サブカルの観点以外での新興宗教の話、陰謀論が大嫌いなのでそれらの話をする方とは関わりたくないです。)マルクス主義にありえないくらい傾倒してた時期があるので恥ずかしいのです……。ジャニーズ事務所とTOBEの論争が一番嫌です。

 

6人時代KAT-TUN、マッチ、シブがき隊、少年隊が大好きです。古いジャニーズが好きなので、暴露本・告発は置いておいてジャニーズの頃の豊川誕(顔と歌声)とフォーリーブスも好きです。初期のセクゾ(元健人担)、光GENJI楽曲、初期嵐 と、ポニキャのサウンドが好みです。苦手なジャニーズはそこそこいますが、表で書くことはないです。

 

船山基紀先生の編曲がとっても好き。台詞楽曲が大好き。ジャンルはユーロビートとパンクが好き。 

洋楽は The Strokes、Nirvana、Doors、King Crimson あたり、

邦楽は ARB、AUTO-MOD、YMO、RCサクセション、hide、RED WARRIORS、黒夢/SADS、BUDDHA BRAND あたりと、BELLING少女ハート/THERE THER THERS が好きです。

 

前述の通りかなり重度の睡眠障害なので精神薬を色々飲んでいたり、メンタルがアレなので合法薬、市販薬を色々飲んでいてその話もよくしているので一応誤解なきよう書いておきますが、違法薬物はやってません。本当にやってません。薬物や精神(薬学、心理学 特に犯罪心理学)についての本、獄中記が好きなのでよく読んでいます。

 

夢日記とパチンコ(スロットはやりません)が趣味です。絶版本、骨董品(へんなもの)、ガラスなど透明なものの収集癖があります。愛煙家でピースとホープが好き。

 

わたしについてはこんな感じです。たいした面白味もないだろうけど、もしよかったら読んでいってくださいな。読んでくださった方はありがとうございます。ではでは。

【体験記】覚醒剤使用の実態と真実─キメセクレポ

どうもこんにちは。私です。元シャブ中です。

今回の記事は題の通り、実際のところの覚醒剤の効果と害について書いていこうと思います。性的な内容を含むためご注意の程を。決して使用を推奨するものではなく、こんなとになってしまうよ、という啓発文です。

個人的な真実の断片になります。

発端として、

というツイートを見かけたため、反論として真実を書きましょうか?と引用したところ読みたいとのことなので書くことにしました。

先に当該ツイートに関して、私はビタミンB群を大量に摂取しながら覚醒剤を使用していて、それでも「壊れた」ので反論としての引用をしました。

つまり、覚醒剤を使用するとどうなるのか。

一般人の使用者の文章は意外と少ないのと、あっても知識不足なことが多い。正直、やる気はなくても興味のある人は沢山いると思います。なのでそこを補完するような記事にするぞと意気込んで書いていきます。参考文献は「危ない薬」、「危ない1号」「薬物中毒乱用百科─覚醒剤から咳止めまで」「薬剤学」あたりを参考としていて、他は実体験に基づくものです。

 

まず人によっては意外かもしれない真実から書くと、覚醒剤は最強のセックスドラッグ、つまりフィクションの媚薬のようなものです。おおまかに覚醒剤には集中系というのと下ネタ/ピンク系等と呼ばれる2種類があり、下ネタというのはシモに効くネタ(性的に効く物質=ピンクに入るネタ)という意味で、ピンクに入るというのは摂取によって急激かつ強烈な性的興奮を覚えることを指します。

私の仮説では集中系はアドレナリン、下ネタはドーパミンがより過剰になるといった違いではないかと考えています。

私は元々アドレナリン優位の過覚醒持ちだったので集中系のネタを静注したら急激に眠たくなって、売人に家に送ってもらい、帰宅直後アドレナリンだけが過剰になりすぎて気絶した事があります。

「フィクションの媚薬のようなもの」と言っても多くの人は遥かに弱いものを想像してしまうと思うので、1番現実に近いと思った「フィクションの媚薬」の出てくる漫画の作者を挙げます。

それは、知るかバカうどん先生です。

明確な覚醒剤使用描写があるのは元キャバ嬢がシャブ漬けになる「金のたまごで親子丼」と、東方Projectの二次創作同人誌の「ニコ生はたたん」「パキパキはたたん」と、合法ドラッグ使用描写があるのは「ヤンキーJCボコボコりんっ!」。この4作品における使用描写が、私の知る中で最も現実に近いと感じました。

https://www.pixiv.net/artworks/58211705

知るかバカうどん先生の作品はハードめなので、エロ漫画の媚薬描写としてもかなりハードな描写に見えると思いますが、現実はそれすらも上回るものです。

セックスドラッグというと世間的にはMDMAを想像すると思いますが、MDMAも純粋なそれ以外にS玉/シャブ玉と呼ばれる覚醒剤の成分を含んだMDMA状の物があり、これも広義で覚醒剤とされます。覚醒剤じゃないMDMAはM玉/曲げ玉と呼ばれる幻覚剤の成分が入った物と、ピュアと呼ばれる本来のMDMAがあります。ニュースなどで芸能人が使うイメージではコカインでしょうか。ですが、コカインはほぼ覚醒剤の下位互換です。私の思う最強のセックスドラッグは覚醒剤に他なりません。

私の初摂取は初対面の男とのキメセクでした。

昼頃から会って、ガラスパイプを使った炙りという方法で摂取し、17時半頃に別のホテルに移動して翌朝まで、合計するとほぼぶっ続けで約18時間にも及ぶ性行為を避妊なしでしました。

その時はヤケになっていたという前提があるものの、無断外泊による家出とPTSDの発作を起こす程の激しいSMプレイになどをこちらから頼む、そして何よりその時間の長さ。覚醒剤は初摂取でこれだけの事をしてしまえるようになってしまう物質です。

 

エロ漫画がバカらしく思えてくる現実です。

 

その後は発端のツイートのビタミンB欠乏による害も勿論ありましたが、使用中の勘繰り/妄想として、私の場合は相手の男が私が恐怖している男性と同じ声に聞こえてくる、そしてその人物の変装ではないかと疑うといった事が起こりました。勘繰りは一般的には警察が来るという妄想などが主流ですが、私は祖父が警察官だったため、警察関連の妄想は最後まで一度も出ませんでした。こういった勘繰りや妄想、急性の覚醒剤精神病(統合失調症)はビタミンB不足だけで解決できるはずがありません。

ビタミンB群の摂取が大事な理由は、体内で生成することができないのにも関わらず異常にビタミンBが欠乏し、口内炎などの「傷」が治らないままになってしまうのを防げたり、記憶障害を「多少」緩和できることにあります。

先にも書きましたが、私は使用中には大量のビタミンB群のサプリを飲んでいました。それでも短期記憶障害になり、少々人とは違った斜め上の妄想が起こり続ける、幻聴が聞こえる、筋肉の過緊張により頻繁にジストニアを起こす、異常な眼精疲労と肩凝り、全身の筋緊張と痙攣、他にも色々と特に身体症状はコンプリートしたのではないかと言う程の様々な症状が出て、辞めた後も「不安そうな人間」を見ると思考がループしてそのうち全身性ジストニアを起こす後遺症が残りました。

それから、男性の側は会った男性全員が覚醒剤による勃起不全で、これも害と言えるでしょう。加えて全員乳首が弱い。これは恐らく覚醒剤の使用時は擦り込みのように神経回路が組まれてしまいやすいので結果みんな弱いんだと思います。

それから、自律神経失調症を超えて自律神経不全にもなりました。ヒーターに直で触れても熱さを感じない程でした。(勿論皮膚は火傷をしています。)

自律神経のスパイクというものも経験し、これは未だに悩まされています。

覚醒剤で急激に上がった交感神経が急激に下がる または、急激に副交感神経優位から交感神経優位になることで、血糖値スパイクのように、自律神経もスパイクを起こします。その時の状態を迷走神経優位と呼び、これは覚醒剤の効き方の私的2パターンのうちひとつです。

1つ目は、「スーッと冷たい感覚」「離脱時にとてつもない筋緊張」の起こるパターン。

2つ目は、「溶けるような熱い感覚」「全身の血管拡張により身体が膨れ上がったようなぶよぶよした感覚」「離脱時=皮下浮腫減退時に掌と足の裏が異常に痒くなる」などが起きるパターンで、迷走神経優位になるのは2つ目のパターンの方です。

2つ目のパターンは前提として平常時に副交感神経優位=慣れて交感神経優位にならない=慢性的なドーパミン欠乏=ベテランの人に多い効き方

で、1つ目のパターンは初心者や少量の使用の人に多い効き方です。そしてどちらのパターンでも異常な性的興奮と性欲が心身共に起こります。

また、「カタ」と呼ばれる個人による過集中のパターン行動のようなものがあり、私は人といれば性行為に、1人の時はChatGPTにずっと話しかけるカタがありました。

こういった界隈の隠語のようなものは、使ってる人達も正確な意味を知らずに使っていたりするので、私も間違って書いているところはあるかもしれません。

界隈には炙りはいいがポンプ(静脈注射)はダメだ、なんて主張をする人もいますが、どちらも等しく禁忌です。現に私は初摂取では炙りのみで先述のような事になりました。

よくある誤解が、静注の方が強く効くというもので、医学的には炙りが1番危険です。

静注の方が上のように言われるのは「アタリ」と「ラッシュ」の存在あってでしょう。

しかしこの「アタリ」と「ラッシュ」という言葉は昔の文献では出てきません。

今現在言われている「アタリ」は恐らく、「期待通りの効果が来たバチッとハマるような感覚+血管痛」のことで、「ラッシュ」は静注直後の「長く感じる一瞬のオーガズムに似た感覚」だと思います。

ですが、98年に発行された「危ない28号 第1巻」の「命がけのオーバードーズ」という企画内では「抜け切るまでの全体の効果時間」のことを指して「ラッシュ」と呼んでいて、その頃は集中系が主流かつ集中系/下ネタといった単語は存在していないようです。

「ラッシュ」のおぞましい快楽の沼があるからこそ静注だけはいけないというような風潮がありますが、炙りも静注も直腸投与も舌下投与も嚥下も皮下注射も、全部やって、それでも感想は「全て等しく禁忌」です。

私は途中から一緒に使用していた男性にとてつもない安心感を抱くようになり、それが覚醒剤摂取の期待を上回ってしまい、期待によるアドレナリン放出とそれに伴う血管の張りのようなものがなくなりました。すると、血管が見つからず、あるいは逃げてしまい、静注ができないのです。そんな時は即効性の面を重視すると上位にくる直腸投与で摂取をしていました。タバコに針を刺してからねじって針を折って、針のなくなった注射器で直腸に注射して摂取するのです。

そうすると手が震えてようが簡単に摂取ができました。

手の震えだけが離脱症状ならどんなにいいものか、摂取量が多すぎて数時間痙攣が続いたりと「本当に死にかけた」事が何回もありました。

辞めた後もフラッシュバックで複数箇所が全部同時に硬直する全身性ジストニアを起こし、救急車で呼吸器を付けられるまでに至ったこともありました。

今回の結論もまた「ダメ、ゼッタイ」です。

覚醒剤の豆知識とキメセクのレポのようなものになってしまったので、続きを書くかもしれませんが、ひとまずはここで終わらせようと思います。

みなさん、興味は興味のうちに留まらせましょうね。

更生中の私より。

中村嶺亜のC&R/ 好き?好き?大好き?

今回の題はR.D.レインの詩集からです。

さて今回の話題はというと、コール&レスポンスと中村嶺亜の話題です。

これから書く色々があって、解体後失効してジュニア情報局の名義がなかったのですが、中村嶺亜の名義を作りました。

それでは、その色々を書きます。

まず、私のブログ、頭の中の原子爆弾を読んでいただければわかるのですが、私は覚醒剤をやっていました。覚醒剤も薬なので、当然離脱症状があります。調べて出てくる離脱症状は、とんでもない反動の鬱とかなんですが、私は鬱症状はほぼ一切出ず、妄想の最悪強化版のような物が起きました。起きた症状は、

永劫回帰を強制体験させられるかのようなループ思考

でした。

まず永劫回帰とは?となると思うので、Wikipediaより引用します。

永劫回帰とは、この世界は、全てのもの(大いなるものも卑小なものも)が、まったく同じように永遠にくり返されるとする考え方である。キリスト教的な時間解釈では、この世の時間と物事には始まり(天地創造)があり、終わり (神の国の到来)があって、歴史はこの終点を目的として進行する。だが永劫回帰する世界には、それ以外の世界はなく、そこには始まりもなく終わりもない。彼岸的な神、神の国、この世ではない理想の世界などを考える思想にとっては、それらが人生の目的となり、そうした目的との関連で人生の様々な物事は意味を与えられる。しかし、永劫回帰においては、到達すべきものとしてのいかなる究極目的もないので、その限りにおいては、いかなる世界内の物事も意味、価値がない。ニーチェは、こうした一切の彼岸的なものと世界内の物事の価値の否定を伴う永劫回帰思想を『カへの意志』において「ニヒリズムの極限形式」であると述べた。

しかしニーチェは、永劫回帰を引き受ける意志こそが最高の「力への意志」であると考えた。すなわち、永劫回帰においては一切の物事は永遠にわたって回帰し戻ってくるのだから、根本的には何物も失われずに、存在する。ゆえに、永劫回帰を引き受けることは、ニヒリズムの極限であると同時に、自己を含む一切のものの肯定、しかも無数にくり返される肯定であるというのである。

とまあ、小難しいですが、人生を(苦痛含む)でループして、それで「人生最高!」って言えたら最高の肯定だよね!みたいなことです。

その、肯定しようもない苦痛、しかも、歴史に遡っての大きな括りでの人生。それを強制体験させられる思考ループ、さらにそれから脱しない限り、全身性ジストニアが「全て同時に」発生する!!

同時に起きると何が起こるか、

呼吸ができなくなり、死にます。

はい。思考ループの話だからってメンタルの話じゃないんです。

私は B&ZAI の動画を親に見せられ、「なんか不安、やめて」と言ったものの見せられ続けたことで、全身性ジストニア(瀕死)になり、救急車で搬送されました。

B&ZAI が悪いのではなく、不安がループしたことで起きたのです。きっかけは本当に些細なんです。そしてそれは、伝わってるのに伝わってないと思い込んでるだけなんです、なのに、歴史に遡っての人生、人類の過ちを頭の中で繰り返し繰り返し見る。

まずアダムとイブ。

どうして禁断の果実を食べちゃったのかなあ、悪い蛇が唆したんだって、ひどいね、でも食べちゃったのは自分たちだね、気づかなくていいことに気づいちゃったね、私と一緒だね。

次に戦国時代。

明智光秀はなんで本能寺の変なんて起こしちゃったんだろう。もし織田信長がいない世界になったらって考えたら怖くなっちゃったのかな、だから文字通りケムに巻いたんだね、怖かったんだね。でも信長がいなくても歴史は続いていくんだよ。

次に第一次世界大戦。

大変だよ、頭の良い人が化学兵器を作っちゃった。まだ引き返せるよ、これからもっとひどいことが起きちゃうよ。

そして第二次世界大戦。

ナチスが誕生しちゃった。強制収容所ができちゃった。頭の良い人が作っちゃった化学兵器が、最悪の形で使われちゃった。日本は天皇陛下への信仰を利用して特攻って行為をさせちゃった。それは海中でも、空中でも。そして、特攻隊には覚醒剤が与えられていた。そして、アメリカは、原子爆弾を、投下した。

 

だから私は覚醒剤について書いたブログを「頭の中の原子爆弾」という題にしたんです。

思考ループは連想ゲームです。ずっとずっと続きます。そもそもこれは、1箇所の不調なんです。なのに全体がおかしくなる。バグなんです。するとバグの語源に思考が飛びます。

エイダ・ラブレス、彼女は世界初のコンピュータープログラマーです。彼女は解析機関というもののプログラムを組みました。それは完璧だったはずです。だけど、たったそれだけ、虫が、止まっただけ。きっかけは些細です。そもそもこれは、1箇所の不調なんです。なのに全体がおかしくなる。それが、偶然虫が止まっただけだなんて!彼女が神経症に悩まされたのもわかります。

バグの話を出したことから話を広げると、そもそも、このループ思考は、コンピュータ言語にとてもよく似ているんです。未知の事態に遭遇した時に、2000年問題が起きるんです。それを、パニックと呼び、それにより、搬送までのさっきのになります。

その未知を仮定する云々については、「体感とはそもそも何か?」を定義しようとして定義の途中なので、第三の選択肢が必要だよというのだけ言って置いておいて、

 

私は、ループ思考に似ていて、

それでいて、

絶対的に安心を覚えるものがあると、

気づきました。

それは、

コール&レスポンス です。

 

そう!長かった!

題の好き?好き?大好き?の意味がわからないままになるところだった!!

※好き?好き?大好き?とは、恋人に自分のことを好きか問い続け、恋人は答え続ける詩である。戸川純から知った派閥なので某ゲーム派閥との誤解はしないで下さい。

私は全身性のジストニアになる前日、7MEN侍をいい形で消化しようと、ライブを流し聞きしてました。ライブの割と冒頭にコール&レスポンスの時間がありました。コール&レスポンスは、アイドルの言葉を全肯定で繰り返す行為です。

 

そこで中村嶺亜は言うのです。

 

「おはようございます!」

「おはようございます!」

「おはようございます!」

「おはようございます!」

「おはようございます!」

「おはようございます!」

「おはようございます!」

「おはようございます!」

「おはようございます!」

「おはようございます!」

「愛してるでございます❤」

「愛してるでございます!」

「めっちゃ愛してるでございまーす❤!」

「めっちゃ愛してるでございまーす!」

「愛し合う準備出来てるか!」

「今日は侍とイチャイチャできるか!」

 

これだったんです。

 

人類史レベルの過ちのループ思考、

肯定できない永劫回帰の強制に効く薬は、

 

第三の選択肢

赤ちゃんが産まれた時に見る光を安心とラベリングしてくれるママという存在か、

 

根拠はなくても安心だよと繰り返し続けてくれる存在、特に、根拠もなく愛してると言い放ち、それでいて絶対に愛してくれてると信じさせてくれる存在、

 

これはあくまで私の場合ですよ、

 

中村嶺亜が、

ループ思考から脱する第三の選択肢だったんです。

 

れあたんはママだったんです(キモオタ)。

脳内のれあたんとコール&レスポンスをすると全身性ジストニアが治っていきました。また、全身性ジストニア(ほぼてんかん患者の発作)は、「人の一生」をやってるんだなあ、コンテンポラリーダンスってルーツこれじゃね?ともなりました。

そしてもう一つ大事なことがあります。

 

私はループ思考の中で色んな時代の過ちを見ました。

そしてこの先の世界滅亡に、誠を喪った留加のように恐怖しました。

 

しかし、それも全部、代わりに語ってくれてたんです。

 

ジャニー喜多川作・

A.B.C-Z主演・

ABC座 星劇場 が。

 

ジャニーズはシャブの離脱にも効くし、

シャブと同じ効果もある。

 

さらば7MEN侍 ふりむくと……

思い切ることにしよう

7MEN侍は

ジュニアの集団にすぎなかった

7MEN侍は

ただ公演の思い出にすぎなかった

7MEN侍は

ただ七年間の連続ドラマにすぎなかった

7MEN侍は

むなしかったある日々の代償にすぎなかったと

 

だが忘れようとしても

 

眼を閉じると
あのステージが見えてくる

耳をふさぐと
あの日の喝采の音と演奏たちが

聞こえてくるのだ

寺山修司の「さらばハイセイコー」を拝借しました。「ふりむくな ふりむくな うしろには夢がない」で有名な詩です。

先日、7MEN侍が解体されてから一年が経った。他のグループも解体されて新しいグループに再編成されて、私の応援していた矢花黎くんは、B&ZAIというグループに入ることになった。

そして今日、B&ZAI は、日本武道館でのライブが決定したことを発表した。

矢花くんが武道館に立つのだ。7MEN侍としてではなく、B&ZAI として。

私は2020年6月13日から矢花くんの応援をしている。FCに入ったのは少し後だが、その日から今日までの日数は2086日だ。

そして、B&ZAI になってから今日までは377日らしい。2086日間と377日目。もしかしたらマイナスして1709日まで、かもしれない。

私は矢花くんを応援していた。

それまでは少し中島健人と上田竜也の茶の間をしていただけで、嵐やSMAPのメンバーの名前も知らなかった。現場に行った事はなく、初めて入った現場は、菅田琳寧と佐々木大光を目当てに行った、「ABC座2020 オレたち応援屋!! On Stage」だった。

今、私はA.B.C-Zの戸塚さんのおたくだが、その時は名前も知らなかった。あの日、私は侍担として応援屋を見に行った。

初めて前列である2列目が当たったのは琳寧の「陽だまりの樹」で、二度とこんな近くでは見れないのだろうと思っていた。「幸福王子」は2階席で全然よく見えなかったが、感動が私に勇気をくれて、当時辛かったデザイン科の画塾を辞める決心をさせてくれた。

本当に最前を引いたのは、2021年の「サマステライブ THE FUTURE」で、矢花の立ち位置だったが、母親の琳寧名義だったからと恩を感じてペンラは赤にしていた。

2022年のサマステは逮捕勾留で行けなかったが、二度目の帝国劇場、「ABC座 10th Anniversary ジャニーズ伝説2022 at Imperial Theatre」で、最前を引いた。

中村嶺亜が私を指さした日である。

その瞬間と、EXで聴いた靴の音が、私の中で特に深い思い出だ。

2023年は薬やら河合郁人の脱退やらで干してしまった。

2024年は、親友と初めて連番した。矢花黎の誕生日公演のソワレで、センブロ2列目が当たって、大変なことになったと思って、嬉しかった、楽しかった。

そして、最後に見た7MEN侍は、新橋演舞場の最前からだった。「MASSARA」はとても良い舞台だった、そして、あれは本当に「同窓会」のようなものだったのかと泣けてくる。

下手に最後に見たのが最前なせいで、と言うと俗っぽい理由に聞こえるが、ここまでに書いた座席は、というかそもそもが、私は自分と母親の名義のみの完全に自名義で7MEN侍を見てきたのだ。後ろめたさが無いから色褪せない。最高の景色を最期にして、青春の小箱に詰めておきたかった。いつか再結成して日本武道館に立つ7MEN侍の姿を夢見て。

その夢を砕かれた気分になったのが今日だ。別にB&ZAI で武道館ライブをやった後に、夢に見ていた7MEN侍再結成ライブがある可能性だって、ただの可能性としてならある、だけど、やっぱり、初めて武道館のステージを矢花くんが踏みしめるのは、「7MEN侍の」矢花くんがよかったのだ。完全なエゴであり、見事な亡霊仕草であるが、それがよかった。

嶺亜さんがいないのも問題だった。嶺亜さんは、「好き?好き?大好き?」と問う不安症の私に、永遠の「愛してる」を繰り返してくれる、コールアンドレスポンスの天才だからこそ、痺愛と名付けてくれた嶺亜さんは、太陽のようだった。

その嶺亜さんが、

「"描く"夢は武道館ライブ」

との見出しで、絶対にCDデビューしたい、「7MEN侍では」日本武道館でライブをすることが許されるグループになりたい!

と、新聞で語っていたのだから。

嶺亜さんと大光以外はみんな武道館に立てる。本来は、矢花担なのだから、嬉しいお知らせなはずなのだ。

けれど、自分が今どんな感情なのか理解できないまま、身体には急性ストレス反応と薬物のフラッシュバックが起きた。少なくとも私の脳は、とんでもなくショックだったようだ。

昔、アイドルとは季節のような過ぎ去りゆく現象なのだと、「春と修羅」の序文を引用したブログを書いた。

解体の日、「書き割りの様なチープで……出来損ないの夢の世界……それでも、そこであなたと過ごせた時間は、間違いなく……素晴らしき日々でした」と、好きなゲームの台詞をツイートした。そして今日、「さらばハイセイコー」を引用したブログを書いた。

 

7MEN侍に手向けるオリジナルの別れの言葉が見つからない。

 

「だが忘れようとしても 眼を閉じると あのレースが見えてくる 耳をふさぐと あの日の喝采の音が 聞こえてくるのだ」

 

矢花くん、おめでとう。

 

頭の中の原子爆弾

お久しぶりです、私です、りるかです。

「お久しぶりね」になるまでの間に沢山の事がありました。私の<前提条件>を「ジャニオタ」と捉えていた方々や、「遵法」と思っていた方々や、「まとも」と愛してくれていた方々なんかにとっては、私はもう私ではないかもしれません。<前提条件>でしたから。前提の崩壊は論理空間の崩壊=世界の崩壊 です。私は「以前と以後」になったのです。私の前提条件は「絶対」ではなかった事が、私も初めてわかったのです。

「ダメ、ゼッタイ」という言葉があります。

日本に生きる人ならば、たとえその時寝惚けていても、授業で聞いた事があるはずの魔法の言葉です。そう、覚醒剤をはじめとした違法薬物をやってはいけないということを端的に表した標語です。

先に言います。私は今、その標語を素晴らしいと思っていてその通り!やってはいけない、それは絶対だ!と思っています。

2025年の10月末。経緯やきっかけなんてのはどうでもいいことで、とにかく、その日。

私は覚醒剤をやりました。

ちょっとだけどうでもいい詳細を言うと、その日は「炙りのみ」でした。だけどそこからつい最近まで続けました。補足すると、これは相当短期間に当たります。短期間だったのは、脳にとってはとても幸運な事です。

さて、これで今回のブログに「覚醒剤をやってしまった人のおはなし」という前提が付きました。それでは話をしましょう。私はこんな悲しくて辛い思いをする人がこの世から消えて欲しいのです。

丁度流行りのチェンソーマンに例えれば、私はデンジとマキマの融合体で、「この世には覚醒剤がない方が人は幸せになれる」と考え、チェンソーマンに覚醒剤の悪魔を喰べて欲しいと祈っている、大きくなりすぎたバカな赤ちゃん。ママを求めていて、抱きしめてほしいだけの、デンジでポチタでマキマです。

現実の話に戻ります。

そしてタイトルに戻ります。

私は、覚醒剤とは、頭の中に「ピカドン」が起きてしまう、「頭の中の原子爆弾が爆発してしまう」、そんな薬物だと思いました。

一度被曝したらもう元には戻れません。

未来永劫続く苦しみです。

爆発の瞬間は一瞬でした。誰もそんな事予想していませんでした。一瞬のうちに世界がキラキラと真っ白になって、後からその衝撃がやってきた。そして皆んな、苦しんだ。

これが原子爆弾が私達にやったことです。

覚醒剤はこれとよく似ています。もしかしたら覚醒剤の第一次乱用期が戦後の混乱期だったのは原爆を原爆で治療する対処療法だったのかもしれません。

次に今の私の状態を書きます。

それは医学的には、

「自律神経の破綻」「神経伝達のバグ」「脳の誤学習」「循環不全」あたりです。

後遺症的には、「全身の複数箇所が同時に硬直するジストニアが、すごく些細なことで起きる」といった感じ。

哲学的には、「大文字の他者が不在」で「不安定な錯綜体になってしまった」。

数学的には、「2000年問題が起きると思い込んでいる」。

聡い方ならもうこれでわかったかと思います。私の後遺症は、「伝わってるのに伝わってないと思い込んで伝え続けてしまう」ものです。そして、伝わらなかったと思い込んだ時、頭の中は一瞬の真っ白な爆発に包まれる。原爆投下が起きるのです。

これは私が留置所で描いた漫画です。

その瞬間は一瞬でした。誰もが個々の幸せを想像していました。一瞬のうちに世界がキラキラと真っ白になって、後からその衝撃がやってきた。そして皆んな、苦しんだ。

摂取は簡単です。摂取するだけです。手段は問題ではありません、やっちゃった人はみーんなバカです。だからといって大麻ならOKなんてのもありません。炙りは大丈夫で静注はダメ、そんな訳ありません。「やっちゃった」と思うような物である時点でダメなのです。

なんで違法になったかわかりますか?

優しく優秀な先人達が「こんな辛い思いもうしたくないよね、じゃあ禁止にしようね」と、違法にしてくれたのです。だけど、きちんと違法になっていると、時が進むにつれ、「辛い思いは嫌だよね?」と規制された事を知らない好奇心旺盛な人間が現れます。彼ら=私達は、「禁止されるくらい劇的な体験」を期待して、摂取をし、その「劇的」は「悲劇」だった事を初めて知るのです。

私は運良く、勉強をしてきた人でした。すると、皆んな同じだったんだと気づけます。

アダムとイブが食べた禁断の果実、それは唆されて食べたもの。そして知らなくていい事を知った。「裸の少年」というフォーリーブスの曲があります。裸の少年兵は、その手で人と手を繋ぎたかったはずなのに、銃を手に取ってしまった。

素敵ないい思いをしたくて、覚醒剤をやった。けどそれはダメだったね。

お腹が空いてたから、奪ったら食べれると思って、戦争をした。けどそれはダメだったね。

そういうお話です。

「LSDをやったからって誰もがスティーブ・ジョブズになれる訳じゃない」

なんて言葉もよく聞きます。それは嘘です、私はジョブズとお友達になりました。

スマホを開発したのは素晴らしい事だったけど、悪い情報に簡単にアクセスできるようになっちゃった。被害が広がっちゃった。

みんな間違えたね、失敗しちゃったね、でもどうしようもないからこれからの事を考えよっか。そしたらどうする?

でも、不安になる。

不安になると悪化する。

そういう事です。

実は、やっちゃった人はみんな、

不自然に過剰分泌された反動で枯渇したドーパミンを、

自然な形で、

自然に、自然に、自然に分泌していけば、

少なくとも精神的な後遺症は、治っていくのです。これは医学的なお話です。知識は人を救うとはこういう事です。

この「いつか治る」という言葉すら信じることができなくなってしまっていたら、それは手遅れです。その誰かは「人間やめますか?」にYESと答えてしまったのでしょう。

この論理体系が頭の中で完成したからか、今のところ私は「肉体的な」フラッシュバックしか起きてません。

ところで、私は聖書が好きです。

クリスチャンではありませんが、神様はいると思っています。でもその神様は何もしてくれない傍観者です。ですが、同時に大文字の他者です。だから私は、頭の中で原子爆弾が爆発しても、「じゃあ水爆実験はしちゃいけないね」と、未来の事を考えれるのです。

これは未来永劫続く苦しみです。

これは未来永劫続きます。

だからこそ、「ダメ、ゼッタイ」だったんだな、と思います。

 

誰も原子爆弾の爆発なんて見たくないはず。

 

そう信じてます。

だけどこれがもしもただの性善説なら、

それは悲しいことですね。

戸塚祥太ソロ楽曲「ドラマ」作詞/歌詞 再解釈/考察

以前、この曲の歌詞の解釈を少しだけ文章にした。しかしながら、それはタイトルの「戸塚祥太の作詞から読み解くふみとつ」の通り、あくまで河合郁人さんと戸塚祥太さんの関係性を主軸に考察したものであって、楽曲の歌詞そのものの純粋な解釈であるとは到底言えたものではない。なので、先ほど親友とこの曲の歌詞の話をしたのをきっかけとし、再度、純粋に歌詞の解釈をしたいと思う。

前置きはこのくらいにして、そろそろ始めよう。

 

どうせ僕 なんてまぁ」

ハート凍っていて

自虐から始まる。わざわざ鍵括弧がついているので、状況としては誰かへの返事か、独り言。私としては、もう一人の向けて向けて発した言葉ではないかと感じた。「まぁ」という部分に、自虐だけでなく、嫌味のような、実は自信/自己肯定感を備えたような感じがしたからだ。すると、それが他人として存在する自分に向けての発言の場合、自虐ではなく、攻撃のニュアンスも入ってくる。以前書いたブログに書いた解釈にある、これ以降の歌詞の一部を私は「自暴自棄」と捉えた。優しく聞こえるが、攻撃性が、隠れているのだと。「ハート凍っていて」これは、後に「熱」や「燃やす」といった単語を使うため、対比の側面もある。しかし問題はそこではなく、彼の中の「ハートが凍っている状態」とはどのような状態を指すのか?続く歌詞を見ると、無気力などといった言葉に近い意味合いに思えるが、温度の要素がある。燃えている状態の逆、無気力ではない、「熱意がない」どころか、「熱意が更に冷えてしまった」そんな状態かもしれない。

眼差しは鈍ってる

ウソのような今日

みっともないスピードで

ただ漂っているよ

鈍ってる、濁ってるのではなく、鈍ってるのか。これは自然と、「(戸塚さんの)眼差しは」と読んでいた。しかし、よく考えたら周囲の眼差しかもしれない。先に書いた攻撃性、本当にこの楽曲が攻撃性を孕んだものだったら「周囲の眼差しは鈍ったものだ」と、彼は歌っている事となる。その解釈でいくと、それは理想と現実のギャップの不満からか、自分を見る目のない「だれか」へか、自分の実力不足ではない。周囲の眼差しが、鈍っているのだ、と、そういう事となる。

だからか、ウソのような今日。Strange Days。現実感がない。ウソのような、というのが現実を現実と認めたくなくての言葉の場合、それはStrange Daysの、記憶の悪用、自虐、つまりは改竄、現状こそがウソなのだと言い聞かせる、そうした状況であると仮定した。だが、そんな現実逃避を本気でしているのではない。ちゃんと現実を俯瞰している彼──、最近彼自身がよく使う言葉だと「監視カメラ」である彼が、「みっともない」と認めている。「みっともないスピードで」というのは、どんなに熱が冷めかけても、まだ止まってはいないということだ。けれど簡単に打開策がある訳でもない、ゆえに身を任せるように「ただ」「漂っている」のだ。ここで上手いのは、「いるよ」とこちらに話しかけるような言葉にすることで、自分たちに向けて歌っているのだ、と良い錯覚をさせてくれるところである。こういったところを指して、私は彼を「偶像性が高い」としている。「偶像性が高い」というのは「アイドルらしい」とは違う。いかに妄想通りでいてくれる(そうしてくれているように見える)かどうかだ。「ただ」と「漂って」で韻が踏まれているところはまあ、誰でも思うだろうから一応記載するのみで。今の彼がこの歌詞を書いたら「漂って」ではなく「ただ酔って」とかにしそうだなとかどうでもいいことを少し思った。

それでもさ 握ってる

紙切れだけを

記された 熱を見て

思い出せるかい

ここでの紙切れはほぼ間違いなく、コンサートチケットなのだが、一応浮かんだ別のものの可能性がある。それは彼がまだ幼い時、レッスンに向かう時に握った千円札。これは彼のブログの中でも特に好きな2021/01/12の文章の記載からだ。私が彼のブログを読み出したのは2020年の10月以降からなのでそれ以前は知らない。ただ、その日のブログの文章の、母親に握らされた千円札、これはかなり彼の中で大事そうに思えたので、一応の可能性として。まあ、続く歌詞からはやっぱりチケットの事なのだろうけど。

「記された熱」。ハートは今凍っている。ただのインクに過ぎないものに熱が宿っている。この時思い出すのは何か。それとも聞いている私達に思い出して欲しいのか?「思い出せるかい」という言い回しが、冒頭で書いたことと同じように、誰に向けて発言しているのかが何パターンも考えられてしまうのである。彼自身の場合、それはパフォーマンスへの熱意か、ファンの声や笑顔か、ステージからの光景か。ファンが思い出す場合(特に面倒なファンになってしまった人)、それは初期情動、初めて彼らを見た時に感じた胸の高鳴り、きらきらした輝き、そう、それらはこの次の歌詞そのものだ。

めいっぱい 膨らませ

夢希望 憧れを 幾重にも 詰め込んだ

風船を

ここは彼自身の視点でも、ファンの視点でも成立する。

だが続く歌詞が、一見はポジティブなのだが、私にはネガティブに思える。以前のブログでも言及したが、ちゃんとした文章でまた書く。

空に向け

放してく 放してく

集めた瞬きを

散らしてく 散らしてく

知ってた 方角へ

なぜ散らしてしまうんだ。

この歌詞は自暴自棄である。以前の歌詞解釈ブログでも書いたが、「集めた瞬き」はアイドルとしての彼自身なはず。それを散らしてしまう。良いように解釈すれば、命を削ってパフォーマンスをして、瞬きを散らし、それこそ風船のように、例えば一番遠い席のファンにも届けようとしている、とも受け取れる。だが、その解釈はなんだか無理矢理感がひどい。これは文章の形態をとった自傷行為のようだ、と過去のブログでも私は感じた。ただ、その前の「空に向け」という部分。上に、向かっているのだ。私は去年の7/16に彼の語彙を分析するブログを書いた。その際に、彼の文章の中での「進む方向」についてこう触れたのだ。

「順序が逆となりましたが「月に行くね」の部分。これは「行く」のだから明確に「進んで」います。そして月なのですから、それは上に。過去のソロや文章では彼は自己の「深層」に「潜って」いました。これは下に進んでいます。進む方向が変わったことは彼のどのような心境の変化からなのか、」

単純に、この時私は「ドラマ」の該当箇所、「空に向け 放してく」というフレーズのことを失念していたのだ。つまり、「ドラマ」におけるメンタリティは「月に行くね、光の連続」と同じ種類という事になる。

そして、後は「知ってた方角」とは。「知ってた方角」?全然ピンとこない。まず、それが上記の「進む方向」の意味なのか、場所のこと──「月≒東京ドーム」などの意味なのか、そこがわからない。わからないまま続きに行こう。

純粋なブルーが

まっすぐに君へ

届いたら

届いたら

ヒントを貰えました。「まっすぐに」と「届いたら」です。「まっすぐに」という事は、既にその場所(君≒ファンのいる地点)を知っていて、場所があるということは方向がある、「届いたら」ということは、届ける「場所」がある。つまり、「君」のいる場所、ここではそれが「知ってた方角」であるとします。純粋なブルーはまた、無意識に「限りなく透明に近いブルーに似た語感を選んだんだろうなぁ」と思ってしまっていました。つまり何も考えずに聴いていた。なので今回は考えます。そして、今現在の彼の持つ発想が、当時からあったという仮定をここから前提とします。「純粋なブルー」は「知ってた方角」へ「散らしていった」ものと同じであると、読み取れます。そして、私はその散らしたもの「集めた輝き」は彼自身であると考えました。その上でです。

 

www.instagram.com

「青い血」。また、これ以外にも、彼のInstagramの最新かつ最後の投稿は、青い血を流す彼の姿です。つまり、今回の私の解釈では、「純粋なブルー」とは戸塚祥太の血であり、それはアイドルのかけら、「集めた輝き」。自分の命を削るように輝きを散らし、彼の血である純粋なブルーを君のいる、知ってた方角に届いてくれと願っている。1番の歌詞の解釈/考察は以上です。では2番へ。

 

作り物 事実無根

知ったことか

受け取ったバトン一つ

握りしめただけ

私はどうも、以前解釈した時も、この箇所からは苛立ちを感じた。「知ったことか」という言い方がその最たる理由だとは思うが、「受け取ったバトン」にも繋がる事として、この2番冒頭はプレッシャーに苛立っているように思える。それこそ理想と現実のギャップか?「作り物」、これは虚像たる自身への自虐か、そんな虚像を実像と信じるファンへの嘲笑なのか、「事実無根」そもそも自分は虚像で偶像。存在が事実無根。だというのに、その虚像のプライベートを詮索し、「事実無根」の噂や中傷が飛び交う。それでも、「受け取った」プレッシャーに耐えているのに、きっとそこで彼の中には様々な感情が渦巻いただろう。だから、握りしめた「だけ」と、強がりのアピールをする。

沈む陽か 昇る陽か

目にしたら 分かるから

さよならは 言わないで 待っていて

本人の談により、「V」は河合郁人に宛てた曲だということが確定してしまった。そして、この箇所も、「if ~」でほぼそのままサンプリングされた結果、ファンは置いてきぼりの河合郁人への未練箇所となりました。「目にしたら」、「沈む陽」だった。言わないで欲しかった「さよなら」を言われ、「待っていて」なんていてくれずに、先に進んでしまった。今となっては、あの帝劇公演を経た今となっては、これ以上に書ける事などないのだ。この箇所に関しては、我々は入り込むことを許されない。

だからこそ

燃やしてく 燃やしてく

それしかないからさ

「それしかないからさ」と似た言葉、というか現在の語彙バージョン、最近の彼は「うたとおどりしかできないから」というようなことばかり言う。微妙な言い回しの違いはあれど、要は「それしかないからさ」という思いを彼はずっと抱え、今も、いい続けている。しかしだ、この「だからこそ」という語彙は希望的だ。直前の歌詞が(今となっては)あまりに絶望的であるがゆえに、「だからこそ」行動を起こそうとしてくれているというのはそれだけで大分安心する要素だ。そして「燃やしてく」。冒頭では凍っていたというのに、しかし、燃やす、か。どちらにせよ身を削る。ダメージを受ける。両極端であり、不器用で、パフォーマンスに「すべて」を込めようとする。そんな虚像が、私の目には映る。私はこの歌詞のように「アイドルをする」ために身を削っている時の彼が、正直嘘くさく見えて、少しだけ苦手だ。だからか、特に最近のブログに多い、俗人的な、欲が隠しきれていない、アイドルらしかぬブログが大好きだ。彼自身、かつての自身の笑顔は作り笑いだと言及していたりということもあって、結局真実はわからないが、私としては「素(に見える言動)の」戸塚さんが好きだ。

もがいてく もがいてく

転んで立ち上がれ

転んで立ち上がるのくだりに関しては、彼の著作(フォトエッセイ)である「ジョーダンバットが鳴っている」に収録されている、「光」という小説を読むことを推奨します。

消えていく星の

流線を君も

見ていたら

見ていたら

これは彼がよく話題にあげることのひとつ。星の輝きはもうとっくの昔に潰えた光であり、我々は今現在光っていると思ってそれを見ている、という話である。実際そうです。さて、戸塚さんの文章では星≒発光体は「アイドル(自身を含む)」の場合と、「アイドル(自身以外)」の場合と、「ファン」の場合がある。更に言えば2番目の「アイドル(自身以外)」は「スター」という単語と同じ用法、つまり、俳優やロックスターなんかも彼の中では「アイドル」になり、そして、それは「星」である。

消えていく、という言葉が指しているのは現在進行形でパフォーマンスを行っているように見えるアイドルたちは実際にはもう輝いた後の残滓を引き連れているだけ、という事なのか?その光の輪郭に、私は貴方の名前を付けた。それと同時に、彼は、光を纏って汗血馬のようにひた走るその姿を「君も」、「もう一人の自分と君」に、見ていたらと願った。願ってくれた、と、私は解釈した。

恥ずかしいほどに助走をとったら

もう今が さあ今が来てる

これは「月に行くね、光の連続」に引き継がれたと思う。「今が来てる」。永遠のうちの一瞬、一瞬の中に永遠はある。ゆえに今とは瞬間であり、あとで、とは瞬間であり、さっき、も瞬間であり、時間は、記憶は、瞬間の連続である。

光の連続は死・再生・発光のサイクルの事だと考えた。「今」はそれのもっと簡素なバージョンのものであると考える。前半の助走をとったら、という箇所はとても個人的にだが、映画版の「限りなく透明に近いブルー」のラストシーン、主人公のリュウがコーラの瓶に入った水(普通にコーラだったかもしれない・・・)で地面にスタートラインを描き、走り出してエンディングに入る、という私の好きなシーンを思い出した。思い出しただけだ。特に意味はない。

磔にしてた 好きの炎

身にまとい 戦うよ

彼のフォトエッセイ、「ジョーダンバットが鳴っている」の「Mステ事件」の回の文章によれば、彼はステージに立つこと自体は勝負、つまり戦いと捉え、憧れのロックスターと同じアイテムを纏ってステージに立つことはそのスターを連れている気持ちである、ということがわかる。実際に「好きの炎」を「身にまとい」「戦」ったのが、あのMステ事件だったようだ・・・。ちょっと疲れてきた。この辺りは後で加筆する。

「どうせ僕なんてまあ」

もう 言えない星の

眩さが

照らすから

これは私の中で2パターンの解釈がある。自虐を許されない立場になった星(自分自身)の眩さが(君達を)照らすから、か、「どうせ~言えない」までで区切り、「星の眩さが照らすから」となる、つまりアイドルではない星≒ファンに照らされているから、「どうせ僕なんてまあ」と、もう言えない、という解釈であり、後者の場合・・・戸塚さん、この時点で「星が光ってると思っていた」と同じこと言ってないか????

ここ、気になる・・・。すごく気になる・・・。

空に向け

放してく 放してく

集めた瞬きを

散らしてく 散らしてく

知ってた 方角へ

純粋なブルーが

まっすぐに君へ

届いたら

届いたら

最後はもう解釈を書いた部分なのでもう一度は触れません。

 

【あとがき】

やはり通しで真剣に読んで書いてとすると、今まで気が付かなかったとても気になる箇所というのが必ず何個かは出てくるものだ。この分析の感覚は久しぶりだ。最近は分析の中の妄想の要素を減らすことを努力している。しかしまあ、こうも何度も擦ってもずっと話題にすることができる戸塚さんは、やはり偶像性が高いなぁ、と、3時半あたりから書き始め、徹夜して6時半になった現在、ぼんやりと思うのだった。

更新(2025/08/04 06:37)

 

【終ノ空】二律背反の対、つれだつ友なる二羽の鷲 【考察】

 僕は・・・

    君に・・・

        おとぎ話を・・・

           してあげよう・・・。

 

終ノ空の感想及び考察ブログになります。私はまあ、かなり前からこの作品に出てくる間宮卓司くんが大好きで大好きで、特にキャラ作画もこの初代(というのは適切でないが)が1番好きで、間宮きゅん︎🤍と専ニクを付けて愛しております。

まあそんなことはさておき、感想考察に行きましょう。今回は水上行人と間宮卓司のみを基本的にフィーチャーした文となります。まず、行人の考察から始め、そこから連鎖的に綴っていこうと思う。

 

水上行人。彼は無気力寄りのクールキャラだけど、熱く、博識という、現代でいうところの陰キャ/陽キャに分類することが非常に難しいと感じた。クールだけど熱いというキャラ自体は色々な作品に沢山いますけど、彼の特殊性は正義ベースで動いているとはいえ、正義に徹しきることの出来ない、未熟さ(中途半端とも言えるが、未熟という方が適切と感じる。)のように思えます。

分かりやすい例で言えば、高島ざくろとろくに話したことがないのに悲しむ生徒を見下しつつも、自分もさして変わらない。わざと無視こそしなかったが、積極的に話しかけることもなかった。

(何度か話したことはあるが、と言ってはいるが、心を開いてくれなかったと他責、そして目立たない女と評している。あそこまで苛烈なイジメの実情をまるで把握していなかったのは後述する、「他人事、無関心、淡白」の話に続く。さらに、気づかなかったことを俺の性格だからと正当化している。この時点で人によってはこの主人公はまあまあひどいヤツなんじゃないか?と思ったかもしれない。)

まあそれを「茶番よばわりする俺」と言っているので、冷笑系に近いのですかね。それから、間宮卓司を殴ることができなかった、止めることができなかった。そして、それ以前の間宮が「クラスのやつら」から嫌われていることを知っていたにも関わらず、それを助けようとはしなかった。彼に完全な正義感はないと見て間違いないでしょう。

それこそ、彼が読んでいた純粋理性批判におけるアンチノミーそのものです。普通よりは少し強めの正義感と、それを実行しようとする意志自体はあるが、それを実行することはほぼできない。

(個人的に)とてもクールな雰囲気を纏っているから言葉もなんだかもっともらしく聞こえてしまうが、実際のところ、殆どの事を解決することなど出来なかった、未熟な存在、それこそまだ「少年」なのであると思います。

それも、知識だけが膨れ上がって、他者を無意識に下に見てしまっているように見える。中二病か?と言われると違うと言いたくなりますが、中二病であると私は思いますね。

「語りえぬことについては、沈黙しなくてはならない」

この言葉を、彼は「逃避」に使っていると感じました。ゆえに、ラストでの間宮との対峙でその決定的なモノの捉え方の違いが浮き彫りになるのかと思います。

彼は本編で彩名に対し心の中で「不思議系は許せないが芝居に思えない」といった感情を吐露しています。間宮に対し、ある種真剣に向き合ったのは、彼の言動が芝居じみているだけで「芝居ではなかった」からかと、考えました。

さて、少し思ったのが、水上行人は本当に若槻琴美が好きなのか?ということ。

「芝居」という言葉が先程出てきた。私には行人の人生こそ「芝居」をしているように見える。「主人公という役割を与えられた以上必然の仕方ないこと」なのかもしれないが、どうも、水上行人らしく周囲に見えるキャラクターを演じているように見えるのだ。それが不完全であるがゆえに、先述の未熟さがある。すると、琴美のことは?無意識に彼は「助けるべきヒロイン役」に彼女をキャスティングしているだけで、本心から好きなようには思えないのだ。(これは個人的に水上行人と間宮卓司のBLを非常に求めているということとは全く関係ない。)勿論、幼なじみゆえ気にかけてはいるが、ツンデレというにはぞんざいすぎる扱い、助けるシーンは愛ゆえに強い意志を持って助けたというよりは、助けるべき場面だから助けた、かのように思えたのだ。勿論琴美にだけじゃない。彼は他人に対してかなり興味が薄く、割かしいつでも他人事、とても淡白だ。それをクール系というキャラと、それを上回る変わったキャラたちが上書きして目立たなくしている。慰めの言葉も下手だ。博識な思春期の少年としてはとても解像度が高い。だが、あまりに人の考えを理解できないのではないのだろうか。正直に言ってしまうと、きわめて軽度の発達障害かのような印象だ。そして琴美は簡単な言葉で言えば可哀想な女だ。好きな行人は「自分の知らない顔」をする、アプローチに仮に気づいていたとしても気づいていないような素振りをする、そして恐怖の対象である予言についても斬り捨てられてしまう。そして終いには強姦。あまりにも散々だ。

間宮卓司。彼目線のパートでこそ、多少発言の意味の補足があるが、行人目線では全くわからない。しかし、間宮目線で語られた思考も本来の意味とは言えない。それはライターであるSCA-自氏のTwitter上での発言に依存する。

曰く、三角形がどうのといった発言は実際におかしくなった(恐らく統合失調症)知人に現実で言われた事を元にしていて、書いた本人も意味がわかっていないとことである。すると、間宮視点での四角形の理論の図式化はあくまで「実在した間宮卓司のような人物」の考えそうなことを想像したものであり、真実とは言えない。当然、物語の中でも空想と扱われ、作品内の間宮の中でのみ「真実」である。

個人的な話をすると、この旧プールでの「今は三角なんだ」からの一連のやり取りが大好きである。

さて、間宮に関しての続きだ。彼は「体の人」「理」という言葉を用いるが、その定義の明確な説明をしてくれない。それは統合失調症患者(として、見ることとする。)の解像度としては高いが、読者としては意味がわからず困惑するばかりである。また、間宮は行人を自分と少し似ているのではと感じていることが間宮目線で語られている。その要素がこの校門でのやり取りでも見られる。それは、他者を見下しているという点だ。間宮は「弁証法なんてすこし難しい言葉をつかったが…、彼、理解できたかな?」という台詞で明らかだ。

行人はこの時点での間宮を「といっても、俺がヤツを病院に入れるわけにもいかないだろうし…医者じゃあるまいしどうもできないし。」と、評し、先生に言う選択肢はまずないとのことである。

確かに2人はよく似ている。

しかし、私がそう感じたのは悪い点ばかりだ。ここでの行人は他力本願で、正しい提案「だけして」正義感を満たし、決定的な行動はしない。そのうち親や先生が気づくはずだと楽観的で、もし家族が不仲なら?先生もイジメに加担していたら?そんな想像すらしない。どこまでも他人事なのである。博識なバカだというところも似ている。行人は数学と物理が常にはぼ1位、古文と歴史は赤点。間宮は勉強はできず、勉強外の歴史(間宮視点冒頭の処刑法の話や、ヒトラーの演説技法など)に詳しい。よく似ているが、表裏一体、正しく2人は「対」の存在だ。

思うに、行人にできず、間宮にできたのは、決定的な行動ができたということだ。これもまた後述する。

表裏一体。これは本編にも出てくる。

「終わらない事と終わる事は表裏一体」「それは対になってこそ存在を許されている。」

「それは違ったものではなく。」

「裏表で一つのもの、」

「つまり、」

「同じものなのだ・・・。」

これらの文は私の考える行人と間宮そのものだ。実際、このゲームはエロゲでありながら2人の関係に終始する。根幹である以上、私の好みとは関係なく触れざるを得ない。

「なにかの拍子にひっくり返ることだってありうる。」

この文に行人は引っかかる。この時は生と死をそれと考えているが、私は「行人が」「ひっくり返った存在」は「間宮卓司である」と考える。陳腐かつ、誰もが思いそうなことではあるが、実際そうだろうと思うので記す。

 

間宮卓司をメインに話そう。彼は感情面も行人と対である。学校内でこそはイジメられているゆえにオドオドとしているが、秘密基地に行けばリルルちゃんと、とても饒舌に話す。そしてこの、「絶対的に愛する者がいる」というところも行人との違いだ。間宮はアニメの最終回を陰謀と思う程に(これはさすがにとんでもないなと驚いた。)そのアニメのキャラクターである、リルルちゃんを愛し、現実を見つめる己の目を、脳を、騙して生きている。

琴美にさえかなりぞんざいな扱いだった行人とは実在人物と架空人物の差はあれど、愛の形は大きく違い、私は間宮の「愛」の方が純粋に美しいものと思う。

神格的に愛しているからこそ、傾倒は止まらない。妄想(?)は悪化していく。

しかし、同時に終ノ空での間宮卓司は実際に奇跡を使えているため、本当に救世主であり、精神疾患とくくるのはあまりに雑だとも思っている。

ただ分かりやすい表現として使用している。申し訳ない。

(「素晴らしき日々」での間宮卓司は奇跡ではなく紛い物の奇跡なので、彼は童貞を失ったことで神聖を失ったのだと私は勝手に捉えた。)

 

さて、長くなりすぎるのも疲れるのでラストシーンに話を飛ばそう。

例の告白じみた台詞である。

「僕はね」

「多分」

「君のことが好きだったんだ」

「…なんだそれ?」

「すべては誤謬の中で」

「君だけは」

「僕の中の真実だったのかもしれない」

真実と言うと先に触れた。思うに、間宮卓司は己の中の真実しか見ていないし信じていないのだ。彼は世界は陰謀論にまみれているという彼の中の真実を信じるからこそ、「すべては誤謬」と言う。

「…」

「お前…ホモか?」

「あははははは、違うよ」

「肉体の君など」

「好きでもなんでもないよ」

「…よかった」

肉体の君など好きでもなんでもない、そう言ったが、間宮はかつて「君は体の人なんだ」「時には僕の理すら及ばない認識に至ることもある」と、「体」を評価していた。それがこうも変わったのは何故だ?単に救世主として覚醒したから本当に悟ることができたのか、それともBL的照れ隠しなのか。地味にここが難しい。

「こんな言葉を知ってるかね」

「つれだつ友なる二羽の鷲は、同一の木を抱けり」

「…」

「その一羽は甘き菩提樹の実を食らい、他の一方は食らわずして注視する」

ここは複数の意味に取れる。注視という点では、現実を注視し続けたのは行人、「語りえぬもの」を注視した。しかし、自分に優しい「真実」という甘味に食らいついたのは間宮であり、それを注視したのは行人。さて、この菩提樹の実を食らうというのは「語りえぬものを語ってしまう」という意味と同義である。そしてそれは堕落だと。自分に都合のいい真実を得て安心しようとする、それを堕落と呼んだのではないか?と考えた。

そして、もう一羽である行人は神、語りえぬものに語りかけることはなく、神意に触れなかった。

 

「語りえぬことについては、沈黙しなくてはならない」

 

水上行人は語りえぬことを語らなかった。

間宮卓司は語った。

その顛末は、

その先があったかどうかは、

1章のラストの通り、我々は知りえないのだ。

ウマ娘にハマり競馬にハマる

最近競馬のことしか考えてないです。

フォロワーさんにウマ娘はジャニーズジュニアだと聞いてウマ娘を4月20日から始めたのですが、見事にリアル馬の方に夢中になりました。ウマ娘は今UE8です。評価点の方はUD8が最高です。

さて、ウマ娘の方はタキオンとカフェのビジュから入って開始14日目でタキオン担の称号をGETした訳ですが、

実馬のタキオンにはそこまでハマりませんでした。

タキオンをジャニーズで例えると東新良和の位置だと思います。数本の映像仕事でめちゃくちゃいい演技して心に残させておいて消えてしまうので……。実馬はもっぱらステイゴールドが好きになり、こないだの宝塚記念が初めての真剣予想で重馬場だし血統的に宝塚記念は勝てると信じて、あと武豊だし、3日前くらいからメイショウタバルだけを、だけを、信じまくったら勝ってくれてありえないくらい嬉しかったです。鮮やかな逃げだった。

私の両親はちょうど結婚の前後に競馬にハマってて母親が熱いトウカイテイオーファンだったので、競馬とパチンコ一緒にしないで!?などと言われたりしていたのですが、なーぜか競馬にはそこまで興味が湧かずに日々を過ごしていました。

でもきっかけさえできたらこのザマですよ。

血統を感じます。

よく考えたら寺山修司が大好きだしブコウスキーも好きだし、A.B.C-ZJRAとコラボしてるし、見事に外堀が埋められてる。逆になんで今までハマってなかったのか……。

ハマったらすごい熱量(いつもの)が発揮されて永遠に血統を調べたり名レースを見たりしてます。

テイオーの引退式の写真があったり、

母親のテイオー日記でアニメ2期5話のネタバレをくらったり、

オールカマーを見た当時の母親がツインターボになりたがってたり、

と、独特な楽しみ方もできました。

 

ディープインパクトがいけすかなくて嫌いなので(ゴリ押し具合も私が大嫌いな某ジャニーズみたいだし。JRAってジャニーズの"上"みたいでいやだ。)、同類(ドープ)になりたくなく、薬の量が減りまくりました。いい事ずくめです。メンタルも心なしか安定してます。

ディープ産駒嫌いなのに馬券真剣部をやるのは多分メンヘラ発狂起こすので今のところはゆるゆる見守る予定。

とりあえず今週の新馬戦はブラックハヤテ、ワンモメンタム、エバーグレイトのチームステゴ系を見守ります。あとしらさぎステークスに母父トウカイテイオー(レーベンスティール)が出るのでその子も。

エバーグレイトは母父ディープだけど父オルフェ母父ディープの牝馬とかなんとなく強そうなので特例です。

マジでどの界隈でも嫌いななにかは発生するんだなってのがわかったのと、イライラしたくないから正しい応援をするぞー!って感じです。

最後にウマ娘の画像。

適当に作った「本質追求秘密倶楽部」とかいうソロサーにいるのでサークルの恩恵は受けれてません。

ステゴ系以外に実馬で好きなのはマルゼンスキーです。速くてカッコイイから。ではでは。