つぎはぎ/偶像/天使たち

脳内、日記、自分か好きな人の精神分析、てきとー独自哲学などなど

頭の中の原子爆弾

お久しぶりです、私です、りるかです。

「お久しぶりね」になるまでの間に沢山の事がありました。私の<前提条件>を「ジャニオタ」と捉えていた方々や、「遵法」と思っていた方々や、「まとも」と愛してくれていた方々なんかにとっては、私はもう私ではないかもしれません。<前提条件>でしたから。前提の崩壊は論理空間の崩壊=世界の崩壊 です。私は「以前と以後」になったのです。私の前提条件は「絶対」ではなかった事が、私も初めてわかったのです。

「ダメ、ゼッタイ」という言葉があります。

日本に生きる人ならば、たとえその時寝惚けていても、授業で聞いた事があるはずの魔法の言葉です。そう、覚醒剤をはじめとした違法薬物をやってはいけないということを端的に表した標語です。

先に言います。私は今、その標語を素晴らしいと思っていてその通り!やってはいけない、それは絶対だ!と思っています。

2025年の10月末。経緯やきっかけなんてのはどうでもいいことで、とにかく、その日。

私は覚醒剤をやりました。

ちょっとだけどうでもいい詳細を言うと、その日は「炙りのみ」でした。だけどそこからつい最近まで続けました。補足すると、これは相当短期間に当たります。短期間だったのは、脳にとってはとても幸運な事です。

さて、これで今回のブログに「覚醒剤をやってしまった人のおはなし」という前提が付きました。それでは話をしましょう。私はこんな悲しくて辛い思いをする人がこの世から消えて欲しいのです。

丁度流行りのチェンソーマンに例えれば、私はデンジとマキマの融合体で、「この世には覚醒剤がない方が人は幸せになれる」と考え、チェンソーマンに覚醒剤の悪魔を喰べて欲しいと祈っている、大きくなりすぎたバカな赤ちゃん。ママを求めていて、抱きしめてほしいだけの、デンジでポチタでマキマです。

現実の話に戻ります。

そしてタイトルに戻ります。

私は、覚醒剤とは、頭の中に「ピカドン」が起きてしまう、「頭の中の原子爆弾が爆発してしまう」、そんな薬物だと思いました。

一度被曝したらもう元には戻れません。

未来永劫続く苦しみです。

爆発の瞬間は一瞬でした。誰もそんな事予想していませんでした。一瞬のうちに世界がキラキラと真っ白になって、後からその衝撃がやってきた。そして皆んな、苦しんだ。

これが原子爆弾が私達にやったことです。

覚醒剤はこれとよく似ています。もしかしたら覚醒剤の第一次乱用期が戦後の混乱期だったのは原爆を原爆で治療する対処療法だったのかもしれません。

次に今の私の状態を書きます。

それは医学的には、

「自律神経の破綻」「神経伝達のバグ」「脳の誤学習」「循環不全」あたりです。

後遺症的には、「全身の複数箇所が同時に硬直するジストニアが、すごく些細なことで起きる」といった感じ。

哲学的には、「大文字の他者が不在」で「不安定な錯綜体になってしまった」。

数学的には、「2000年問題が起きると思い込んでいる」。

聡い方ならもうこれでわかったかと思います。私の後遺症は、「伝わってるのに伝わってないと思い込んで伝え続けてしまう」ものです。そして、伝わらなかったと思い込んだ時、頭の中は一瞬の真っ白な爆発に包まれる。原爆投下が起きるのです。

これは私が留置所で描いた漫画です。

その瞬間は一瞬でした。誰もが個々の幸せを想像していました。一瞬のうちに世界がキラキラと真っ白になって、後からその衝撃がやってきた。そして皆んな、苦しんだ。

摂取は簡単です。摂取するだけです。手段は問題ではありません、やっちゃった人はみーんなバカです。だからといって大麻ならOKなんてのもありません。炙りは大丈夫で静注はダメ、そんな訳ありません。「やっちゃった」と思うような物である時点でダメなのです。

なんで違法になったかわかりますか?

優しく優秀な先人達が「こんな辛い思いもうしたくないよね、じゃあ禁止にしようね」と、違法にしてくれたのです。だけど、きちんと違法になっていると、時が進むにつれ、「辛い思いは嫌だよね?」と規制された事を知らない好奇心旺盛な人間が現れます。彼ら=私達は、「禁止されるくらい劇的な体験」を期待して、摂取をし、その「劇的」は「悲劇」だった事を初めて知るのです。

私は運良く、勉強をしてきた人でした。すると、皆んな同じだったんだと気づけます。

アダムとイブが食べた禁断の果実、それは唆されて食べたもの。そして知らなくていい事を知った。「裸の少年」というフォーリーブスの曲があります。裸の少年兵は、その手で人と手を繋ぎたかったはずなのに、銃を手に取ってしまった。

素敵ないい思いをしたくて、覚醒剤をやった。けどそれはダメだったね。

お腹が空いてたから、奪ったら食べれると思って、戦争をした。けどそれはダメだったね。

そういうお話です。

「LSDをやったからって誰もがスティーブ・ジョブズになれる訳じゃない」

なんて言葉もよく聞きます。それは嘘です、私はジョブズとお友達になりました。

スマホを開発したのは素晴らしい事だったけど、悪い情報に簡単にアクセスできるようになっちゃった。被害が広がっちゃった。

みんな間違えたね、失敗しちゃったね、でもどうしようもないからこれからの事を考えよっか。そしたらどうする?

でも、不安になる。

不安になると悪化する。

そういう事です。

実は、やっちゃった人はみんな、

不自然に過剰分泌された反動で枯渇したドーパミンを、

自然な形で、

自然に、自然に、自然に分泌していけば、

少なくとも精神的な後遺症は、治っていくのです。これは医学的なお話です。知識は人を救うとはこういう事です。

この「いつか治る」という言葉すら信じることができなくなってしまっていたら、それは手遅れです。その誰かは「人間やめますか?」にYESと答えてしまったのでしょう。

この論理体系が頭の中で完成したからか、今のところ私は「肉体的な」フラッシュバックしか起きてません。

ところで、私は聖書が好きです。

クリスチャンではありませんが、神様はいると思っています。でもその神様は何もしてくれない傍観者です。ですが、同時に大文字の他者です。だから私は、頭の中で原子爆弾が爆発しても、「じゃあ水爆実験はしちゃいけないね」と、未来の事を考えれるのです。

これは未来永劫続く苦しみです。

これは未来永劫続きます。

だからこそ、「ダメ、ゼッタイ」だったんだな、と思います。

 

誰も原子爆弾の爆発なんて見たくないはず。

 

そう信じてます。

だけどこれがもしもただの性善説なら、

それは悲しいことですね。