A.B.C-Zの8thAL「F.O.R-変わりゆく時代の中で、輝く君と踊りたい。」の情報が解禁されましたね。さて、本作に収録される戸塚祥太のソロ曲、「月に行くね、光の連続」。こちら、まだ我々はタイトルしか知り得ません。という訳でこのタイトルから久々の「アイドルの概要」についての一考察を行っていこうと思います。
私が以前書いたアイドルの概念については、宮沢賢治の「春と修羅」の序文から「アイドルとは発生し、観測されることで認識≒存在する、現象である」としたものでした。今回のソロ曲タイトルにある「光」、これもまた、宮沢賢治の言うところの「仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明」「因果交流電燈のひとつの青い照明」、この「電燈」と受け取る事ができます。この序文の中での「電燈」は「せはしくせはしく明滅」しているのです。これは「電燈」を「人生」に置き換えた時、人生は時間という瞬間の連続であり、次の瞬間にその前の瞬間は死ぬ、死と再生を繰り返して織り成されるのが人生であり、やがて「その電燈は失はれ」幕を閉じるということになります。この、「連続」。今回のタイトルは「光の連続」です。
戸塚さん、彼は光を「光る」などといった用法では無く、「光をする」などといった表現をします。「Doする」と同じ用法ですね。私の場合は彼の語彙としての「光」は「アイドルとしての人生」と読んでいます。つまり、私の読解では「光をする」は「アイドルとしての人生をする」ということで、「光の連続」とは「アイドルとして、瞬間を繰り返し、死と再生を繰り返す(生まれ続ける≒成長する)」というフレーズになります。
また、彼は最近頻繁に「赤ちゃんは最強(ニュアンス)」といったような文章を書いていました。私の読解の「生まれ続ける≒成長する」と恐らく意味合いは同じでしょう。これは連想した事になりますが、誰もが知ってるでしょうThe Rolling Stoneの「Paint it Black」の歌詞の「Like a newborn baby it just happens everyday」の部分、赤ん坊が生まれてくるのと同じ毎日どこかで起きている出来事、と歌っていますね。毎日、です。個々は違えど、括りとしての「赤ん坊」は連続し、毎日生まれる。生まれ続けている訳です。人類全体に単位を置くと、赤ちゃんが生まれてくるたびに人類は遺伝子レベルでの成長を繰り返している。
私が「連続」から考えたことは死に「絶え」ない限り、死は誕生と同義であり、それを続けることで成長(進化)する、というのが「光の連続」のフレーズから考えたことの総括となります。
次に、順序が逆となりましたが「月に行くね」の部分。これは「行く」のだから明確に「進んで」います。そして月なのですから、それは上に。過去のソロや文章では彼は自己の「深層」に「潜って」いました。これは下に進んでいます。進む方向が変わったことは彼のどのような心境の変化からなのか、ブログの文章を全部取り上げていったらこれについての考察もかなりできますが、今回はしません。ここに関しては彼が楽曲として提示する思考をあるがままに享受したいからです。また、彼の作詞した楽曲の「光」にも今回は触れません。なぜなら単純にあり得ない程長くなるからです。今日の私はライブ帰りで疲れている。
今回のブログはこれで終わりとなります。実際の歌詞において戸塚さんがどのような思考を新しく提示してくれるか非常に楽しみです。
タイトルから考えたことを羅列していっただけなので散り散りとした乱文ですが、読んでくださった方がいましたらありがとうございます。
2024/07/25 ~ 2024/08/05 :追記
何故、月に行くのかと考えた。デビュー時から与えられた彼らのイメージは星であり、また前回ソロタイトルも「星」。前回ソロにおいては「星」が指すものをファンだとし、そうすると「A.B.C-Z≒ファン」=ファンあって存在できる自身 となる。その状態から現在での異なる点といえばA.B.C-Zから河合郁人の存在が引かれた事。星の一片が欠けたということ。それを戸塚さんは「脱退ではなく脱進」とした訳で、進む事は向かう(行く)ことと同義、では星の先にあるものはというと月である。星の先が月であるという認識が合っているかは過去のテキストを参照する。「月に向かう事」については以前から言及していて、例えば2021/01/05では「人類が月へ行けたのは欲望と好奇心があったから」という内容を書いていて、そこで「月=この星の外側」と書いている。つまり戸塚さんの考えの月は「星の外側≒星の先にあるものは月」というので恐らく正解だ。欲望と好奇心の先にあるものは人類の発展≒進化だろうから、そこは連続の部分で書いた前述の文章の通り。これでタイトル自体の解体はし終えたと思うのだが、あと気になるのは太陽の位置付け。月は太陽あって初めて輝けるもの、アイドルはファンあってこそ輝けるもの、と「ファン≒星」なら太陽も惑星の意味での星に含めるのか?太陽の話は太陽の塔に関連する話がほとんどな気がする。太陽について考えるとまあ結論が出そうにないのでそこは一旦考えるのはよそう。では前回ソロのタイトルについてをもう一回整理すると、「星が光っていると思っていた」に近い語の初出はそれ以前にも言及していなければ、そもそもは少年隊を指しての発言だ。そこでの「何故光っているのだろうか 光っていて欲しいと願うこちら側のエゴが働き光って見えているだけなのだろうか」という発言を踏まえてタイトルを読むと、戸塚さんの中での事実の再認識(曲のラスト)以外に、そうあって欲しいと願う、祈りの曲でもあると取れる。続きの「そこに辿り着いたらなんにもないのだろうか」というのも、今回「月に行ったら」何かあるのか、何もないのか、と戸塚さんの最新版の考えではどうなのかが気になる。また、その日のブログでは「消えていく星の流線」よりも「光」が強いように書いている。光に関してあと気になる発言は、「完全なる光」というのはどういった考えを指すものかということくらい。もう発売まで僅か。連想ゲームの穴埋めパズルもこのあたりが限界ということで。うん。色々と考えた。さて、とにかく聴くのが楽しみだーーーー!!!!
2024/08/22:追記(失念していたこと)
デビューが「星」である「Za ABC 〜5stars〜」で、初CDが「Moonlight Walker」なことから、「月」は新しくデビューする(リスタート)という意味もあるかもしれない。Reは前述の「連続」にも通ずることだし。