つぎはぎ/偶像/天使たち

脳内、日記、自分か好きな人の精神分析、てきとー独自哲学などなど

23/09/21のguerrillalove 河合郁人脱退に対して戸塚祥太が宛てた歌の考察

前提として、私は「Ⅴ」はファンに宛てた歌でもあるけど、河合郁人に宛てた歌だと思っています。今回の件の河合くんのラジオでの発言から時系列も合ってしまうし。

できればえび担の殆どに読んで欲しいくらいです。A.B.C-Zのことが好きな方たち、大勢の方に読んで貰いたいです。

 

2行目 

笑顔の「向こう」「嘘のない表情」は番組、雑誌等での笑顔を嘘であると捉えていて、アイドル河合郁人は彼の本心ではないという意味の一文だと私は解釈した。

嘘のない表情というのがどのようなものかはわからないけれど悩み、不安、葛藤を抱えた表情かと私は予想している。とはいえ私自身は河合くんはこの上なくアイドルだと思っている。

4行目

「近くて遠い」は「Ⅴ」の

「同じ時を歩きすぎたから伝えることを怠っていたかな」「わかり合えないこともあるよ 嫌いになる時もあるだろう でも」から続く考えだと思う。

大切に思っていて、信頼もあった、だけど、だからこそ話し合ったりはできなかったという意味に解釈した。続く文は……重い。重いよね………。

5行目

「陽が沈んだってSUNRISE」

「陽が沈む」は戸塚さんの語彙だと思います。「ドラマ」での「沈む陽か 昇る陽か 目にしたら 分かるから」ともあるので、彼の中での頻出する語彙だと思っています。

「潜る」もよく使っているけれど、またそこはニュアンスが違うように感じます。

本質は近いと思いますが。

「沈む」は脱退、退所、死(これも彼の文脈での)と私は解釈しています。

戸塚さんの文脈での「死」とは認識されなくなること=存在しない、つまりグループに存在しなくなるという意味での「死」と考えています。もう一つ彼の文脈での「死」がありますが、それは後述。

「SUNRISE」は、深読みのしすぎかとも思いましたが、私は嵐の「SUNRISE日本」のことだと思います。

次の詞(6行目)に「記憶の中で歌う少年」

「少年」とあったので、少年期のことを指していて、二人の少年期と「SUNRISE日本」といったら「ザ・少年倶楽部」初回放送にして初登場回、二人がシンメで踊った「SUNRISE日本をどうしても連想する。

 

これは戸塚さんにとっても重要な記憶だと私は思う。

その河合くんは「記憶の中」で歌っているのだから。

代表的なのはセンターで歌ってた「アンダルシアに憧れて」とかも。戸塚さんの中での少年期の河合くんは「歌っていた」と思う。

7行目

「そっと手を振る」は単純に上述の「死」ではないかと感じた。

8行目

「帰り道」これが私の思う戸塚さんの文脈の「死」のもう一つの方です。「帰る」は「死」だと思っています。

「星が光っていると思っていた」での「何度も帰りたかったけど」がわかりやすいと思います。実際戸塚さんは退所しようとした、遺書も書いた。「星が光っていると思っていた」に関しては私はどう読んでも「帰る」は「死」と同義に思える。

9行目

「残されたHeart」は先の「二つ目の心臓」から自分自身かと。これが、河合くんが深い苦しみの中藻掻き、寂しさに駆られた時に自分も「死ぬ」ということだとしたらそれは私にとってはひどくつらい。

12、13行目

ここは単純に文字通りだと思う。

14行目

「ドラマ」では「さよならは言わないで 待っていて」と言っていた。だけどここでは「さよなら」と言っている。これはどういう意味か私は解釈しきれていない。「ただいまと」は、上述の通り「死」だと解釈。彼の中では死が帰るべき場所=デフォルトで、生きていること=出かけていることがイレギュラーなのかな。

ラスト

単純に映画の「マイ・フレンド・フォーエバー」

偶然かなと思うけどラストシーンは「川」にそれぞれの靴を流す。

川=河がでてきてしまった。ざえびの「川を下り海に(以下略)」も思い出してしまった。話は戻り、この歌詞の流れからすると恐らく戸塚さんもそのラストを浮かべてのことだろう。そして、その映画に擬えるならやはり「A.B.C-Z河合郁人」は死んだ。死んだんだ。

悲劇でも無情に進んでいくのが映画でもある。私達にとっての悲劇も進んでいけば明るいクライマックスを迎えるかもしれない。12、13行目では「映画=綺麗なラスト」と書いてあるが、映画という瞬間の連続はやはり人生に近く、何が起こるかなんてエンドロールを観終わってもわからないのだ。それこそ河合くんの未来が明るいことを私は願います。行ってらっしゃい。頑張ってね。