つぎはぎ/偶像/天使たち

脳内、日記、自分か好きな人の精神分析、てきとー独自哲学などなど

アイドルという現象、季節。

今回の文章は結論が出ておらず、未だ模索中のテーマなため、取り留めなく、散り散りです。ご了承くださいませ。

 

アイドルを季節のような現象として捉えているかもしれない。

私の中のアイドル(ジャニーズ)は『現象』かもしれない。入所することで突発的に『発生』する『現象』かもしれない。彼らは突発的に『発生』する。季節のように、台風のように、気圧のように。我々が『発生』したことを知るのは必ず『発生』した後である。彼らの背景、バックボーンは『発生』するまで存在するかわからない。シュレディンガーの猫状態である。『アイドル』という『現象』が『発生』するのを我々が『観測』するまで、『アイドル』はこの世に存在しない。我々が『観測』して初めて『アイドル』という『現象』が『発生』していたことを知る。『発生』を『観測』して初めて、我々は『アイドル』の今まで(バックボーン)を知れる状態となる。

 

春と修羅』が好きです。

 

春と修羅の序文は

から始まります。私は上で『アイドル』という『現象』の話をしましたが、宮沢賢治は『わたくし(人間)』という『現象』について語っています。曰く、それは『(あらゆる透明な幽霊の複合体)』で、点滅しながら燈り続け、いずれ消える青い照明である、と。当然、私よりよっぽど高尚な言葉を語っています。しかし、賢治の時代と比べ現代はSNSも発達し、風景などと同じく透明な命と言うほどその『現象』を『観測』し辛くはなくなったように思えます。(日常生活、周辺の人間においては。)

しかし遠い存在である『アイドル』は未だ突如として『発生』し、我々が『観測』し、いずれ『観測』できなくなる、季節や風景と同じ透明な存在であると考えれます。それに、『アイドル』は『コンテンツ』です。飽きて過ぎ去ることもあるでしょう。過ぎ去る季節と同じように、ただ現象として過ぎ去っていく。現代に残された『透明な存在』である『現象』は『アイドル』ではないかと私は思っています。

ゆえにこそ、各々の人に季節を感じることもあるのだと思います。

 

また、本当にアイドルが季節のような『現象』であるならば、こちらが心動かされることはあっても、向こうは『現象』にすぎないのだからその感情に関与することはないし、肯定も否定もしない、ただ沈黙だけである。